静かな魂のスピリチュアル~アナログ人間の感覚ノート⑦~縄文人の霊性とムスビの力に宿る宇宙意識~
魂の目醒めのプロセスの中で、私は「陰謀論」と呼ばれる世界観に触れた事がありました。
その体験は、単なる外側の出来事ではなく、私の内側に眠っていた“魂の記憶”を呼び覚ますものでした。
※以下は私の空想に基づく内容です。
事実ではないと感じる方は、物語としてお楽しみ下さい。
ただし、私にとっては深い確信をもって「真実」と感じている世界観でもあります。
〇「信仰する」のではなく「共に在る」という事「縄文神=包み込む神性」!
「神を信じる」という概念そのものが、すでに現代人の偏りなのかもしれません。
縄文人たちは、神を「信仰していた」んではなく、「共に生きていた」んです。
その痕跡は、日本各地に今も残されています。
例えば、巨石や磐座(いわくら)。
山の中腹に鎮座する人工的配置としか思えない巨大な石群
さらには、特定の山そのものがピラミッド型に整えられ、天体の動きやエネルギーの流れを考慮して設計されているようにも見えます。
「ミシャグジ信仰」や「石神信仰」といった名称もありますが、それらは信仰というより、古代の霊的テクノロジーであり、神のエネルギーを“装置”として活用していた痕跡のように感じられるのです。
つまり、縄文人たちは、現代人よりも霊的に進化していた可能性すらあります。
「祈り」と「暮らし」が分離していなかった。
神と人が日常の中で呼吸を共にしていた。
それが、縄文神の本質であり、「何者をも包み込む神性」の根底にある感覚なのです。
〇天御中主とムスビの神、創造と統合の根源意識!
この「包み込む神性」を語るとき、欠かせないのが◎天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)というムスビの神たちです。
天御中主は、宇宙の中心を司る存在であり、すべてを貫く“中庸の意志”。
分け隔てるのではなく、中心から調和を保つ存在。
まさに、私たちの内なる「静かな魂」と共鳴する神性です。
そして、ムスビの神々がもたらす「結び・産霊(むすひ)」という働きは、「対立を超えた統合」のエネルギー。
目醒めとは、この“むすびの力”が再び魂に宿る事なのかもしれません。
さらにもう一柱“菊理姫”(くくりひめ)は、「括る=むすぶ」女神であり、川の流れを司る瀬織津姫と同様に、物事の“浄化と統合”を担う存在として、日本人の深層意識に息づいています。
スピリチュアルな視点では、まず父性原理(ムスビ)が星や空間そのものを“創造”する役割を担います。
そしてその器の中に、水・風・光・命の循環といった“いのちが息づく環境”をもたらすのが、菊理姫のような母性原理(ククリ)の神性です。
つまり、菊理姫は「環境を整える神」であり、命の流れを生み出す“調和”のはたらきを持つ存在なのです。
この力は、地球という自然環境だけでなく、私たちの心や魂の内側にも働きかけています。
滞っていた感情が静かにほどけ、癒され、やがて一つに統合されていく~その様な流れが生まれていくのです。
自分の内面を整えるという行為も、実はククリの神の導きの一部であり、私たちの魂を本来の姿に戻していくための大切なプロセスなのかもしれません。
縄文時代は「日本だけの歴史」ではなく、ウルム氷期以降、地球全体に広がっていた “自然と人と精霊が共に生きる精神文化” の一部だったのかもしれません。 次回は、カラ族・クル族・白山王朝など、古代に広がっていた“宇宙とつながる精神文化”の記憶を、ていねいにたどってみたいと思います。