ヒロミ接骨院 | 岐阜県可児市広見の接骨院「ヒロミ接骨院」

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静かな魂のスピリチュアル―アナログ人間の感覚ノート③空想の陰謀論シリーズ② ─ 教育とメディアが仕掛けた“見えない鎖” ─

※本稿はあくまで筆者の空想に基づくフィクションです。実在の人物・団体・出来事などとは一切関係ありません。特定の誰かを攻撃したり批判する意図もございません。現実と混同なさらず、ひとつの物語としてお楽しみください。

【第一章:教育・“想像力と感性”を封じるプログラム】

私たちは子どもの頃から「教育こそ人と未来をつくる」と教えられて来たのではないでしょうか。

しかし、現実に用意されていたのは、想像力感性を静かに封じ込めるシステムだったのです。

学校という枠の中では、「自由な発想」や「直感的な気づき」よりも、「正解を当てる力」ばかりが求められます。

美しいものに心を動かす感性や、誰かの痛みに共鳴する心。

本来、人間らしい“魂の力”と呼べるそれらは、いつの間にか“非効率”とされ、“黙って従う”ための教育が標準となってしまった様です。

とくに戦後の日本においては、GHQによる文化解体「焚書」政策によって、精神性や伝統、直観的な感受性は“非科学的”と切り捨てられました。

その代わりに導入されたのが、左脳偏重の詰め込み型教育。
「覚えなければならないことは山ほどある。でも、自分の心で感じることは教えてくれない。」

記憶力で点数を競い、他人と比較され、点数が良く無ければ「落ちこぼれ」という烙印を押される!!!

それが、本当に“人を育てる”教育だったでしょうか?

                                                       むしろそれは、想像力の芽を摘み、感性を閉ざし、魂の声にフタをする為の周到に設計されたプログラムだったのです。

あるいはそれは、もっと深い意図のもとに仕掛けられた“洗脳システム”だったのかもしれません。

自分だけの欲望とエゴを満たすことしか頭にない者たち、その頂点に立つ支配層が、表には決して姿を見せることなく、水面下で世界の権力を握り続けています。
彼らは、人々を“ゴイム”(=選民以外の存在、すなわち“家畜”)のように見なし、教育・メディア・経済といったあらゆる仕組みを通じて、人間を意図的に愚民化し、思考停止の状態に追い込んできました。
それは偶然などではなく、ピラミッド型の支配構造を維持し、支配される側が自ら進んで“従順な奴隷”であり続けるように仕向けられた、精密に仕組まれた策略なのです。

*『シオンの議定書』が示す支配戦略の一節には、こう記されています。
  「人々には形式だけを教えよ。」

  「本質や直感的理解には近づかせるな。」

  「真の洞察は支配を脅かす。」

けれど、私たちは忘れてはならないのです。
かつてこの日本には、“魂を育てる教育”が確かに存在していたことを。

江戸時代の寺子屋では、読み・書き・そろばん、と共に、礼節や道徳、親への感謝といった人間としての在り方が教えられていました。

武士の子どもたちは、『葉隠』に記された「義を重んじ、己を律する」精神の中で、自己と向き合う姿勢や死生観すら学んでいたのです。
それは、“詰め込み”とは正反対の教育でした。

知識よりも心、効率よりも礼節、競争よりも調和。
魂を耕すことこそが、未来を生きる力になる。

そんな教えが、かつてはあったのです。

こうして育った私たちは、「正しい答え」を探す訓練はしてきても、「本当の問い」を立てる力を奪われてきたのかもしれません。

でも、本来の教育とは“内側の世界を豊かに育てるもの”であったはず。
いまこそ、私たちは思い出す必要があります。

心で感じる力、ひらめきを信じる力、誰かを思いやる感性。
それらはすべて、未来を創造する為に、私たちの中にあらかじめ宿されていた“命の約束”だったという事を。

そして、その仕掛けに氣づいた人は、(氣づいて暫くの間)きっと苦しくて孤独感を味わうでしょう。

氣づいてしまったからこそ、この社会の歪みに違和感を覚えてしまい全てが逆に見えてきます。

けれど、その苦しさの中にこそ、本当の目醒めの扉があり、本質的な幸せがあるのです。
なぜならそれは、あなた自身の“生命の本体・魂・根源につながる意識”が目を醒まし始めた証なのだから。

 

【第二章:メディア・“思考と言葉”を奪う装置】

私たちが当たり前のように触れてきたテレビ、新聞、ネットニュース。

それらのメディアが、どれほど巧妙に人々の“心”と“言葉”を操ってきたか、私たちは本当の意味で気づいているでしょうか?

本来、報道とは「真実を伝える手段」であるはずでした。

しかし、現実には「都合の悪いことをひた隠し、望む方向へ誘導する手段」へと変質していったのです。

戦後日本のメディアは、GHQ主導の「情報統制政策」。

すなわち3S政策(スクリーン・スポーツ・セックス)を通じて、政治や歴史への関心を逸らし、快楽と消費に人々を縛り付ける方向へ動かされていきました。

 

かつての焚書、報道統制により、先人たちが遺した精神性や歴史的真実は、闇に葬られました。

テレビが娯楽に変わった瞬間、“情報”は“洗脳”へとすり替えられたのです。

真実を語るジャーナリストは排除され、疑問を口にするタレントは番組から消されたり、SNSで発信する声でさえ、アルゴリズムによって届く範囲が制限されている様に感じます。

 

『シオンの議定書』にはこう記されています。

「大衆の注意を政治や経済からそらし、くだらない娯楽に没頭させよ」

「真実を語る者を“陰謀論者”として笑い者にせよ」

「情報の選択肢は、あらかじめ支配層が用意したものの中に限定せよ」

これを現代社会にあてはめてみると・・・

メディアが流す「正義」や「正解」は、実は“誰かにとって都合の良い物語”であることが分かってきます。

コロナ禍での一方的な報道、戦争や経済危機の“タイミング”、芸能スキャンダル(某人気アイドルのスキャンダル等)の絶妙な報道タイミング、それらは単なるニュースではなく、「大衆の意識を誘導するための演出」なのです。

 

私たちは氣づかぬうちに、「自分の考え」だと思い込んでいたものが、実は“与えられた意見”だったことに、少しずつ氣づき始めています。

どれだけ科学的・合理的に見せかけても、報道されない“事実”がある限り、それは偏向です。

本当は何が起きているのか?

なぜそれが今、それが起きているのか?

誰がそれを望んでいるのか?

私たちは、その問いを“自分の言葉”で語ることを忘れてしまったのかもしれません。

 

【あとがき】

ここまでメディアによる意識操作について触れてきましたが、私がこの問題に深く関心を持つきっかけとなったのは、『シオンの議定書』との出会いでした。
この文書は『シオン賢者の議定書』とも呼ばれ、全24章で構成されています。
各章では、ユダヤ人(という設定の者たち)が、いかにして非ユダヤ人(注1、ゴイム)の社会を堕落させ、混乱に導き、メディアや教育、経済を通じて支配を広げ、最終的に世界統一を目指していくかが語られています。

初期の章では社会の道徳を崩壊させる方法が描かれ、中盤では情報操作や経済支配の戦略、後半では革命や戦争を利用する手法が説かれています。

そして最後には、彼らによる完全な支配体制の確立が示唆されています。

この議定書については、その真偽や背景に多くの議論がある事も理解していますが、それでも、こうした構想が一文書の形で現れていること自体に、強い違和感と衝撃を覚えましたので一部紹介させて頂きました。

*注1 ゴイム=家畜・獣